すべての論理の根本に「=」がある。「=」なき論理などあり得ない。我々は、いろいろな単語を「=」で結びつけて理解してきた。例えば、英和辞典と和英辞典で、日本語と英語の「=」を確かめてきたのである。またあらゆる事物に遭遇する度に、「これとこれは同じだね」と「=」を確認してきたのである。しかし厳密に「A=B」など有り得るのだろうか。もし「A=B」が本当に「A=B」ならば、むしろ「A=A」のままで良いではないか。しかし我々人類は「A=B」の曖昧性を受け入れた上で、今日まで「=」を信じ続けてきた。しかし行き着いたのは、多元化、多様化、断片化の現代世界であった。論理は技術化(コンピューター化)され、今や現代科学の手の中にある。私の提案は「A=B」を根本とする論理だけではなく、「A≠B」を根本とする論理が有神論者として必要ではないか、ということである。