1184、マルティン・ブーバーの「狭い尾根」。魅力的な考え方

「すでに触れたが、一部の人間の罪を、その民族なり国家の責任にする考え方を、ブーバーは拒絶したのである。イエスを処刑に追いやったのがユダヤ人だからといって、ユダヤ民族すべてに罪を着せるとか、ナチスナチス支持者がドイツ人だったといって、ドイツ国民すべてに罪があるという考え方を、彼は断固としてはねつけたのだ。しかしながら、予想されたこととはいえ、ユダヤ系の新聞などは、そんなブーバーに対して悪意のある激しい非難をぶつけた。もっともブーバーの講演は、ドイツ国民に自らの罪の重荷を取り去られたというよりは、むしろ自己反省の姿勢を誘発させたといわれる。ブーバーは、決して右の道も左の道も歩まなかったのだ。彼が歩んだのは「狭い尾根」であった。しかし、世の中というものは、右か左かのどちらかを歩みたがる。どちらかを歩む、つまり一方を否定することが「敬虔」であり、「神への忠誠」であると考えてしまう・・・」(「ブーバーに学ぶ」P270日本教文社)教文社は「生長の家」関連の書物を扱う出版社であり著者、斎藤啓一師も神秘主義関連の研究をなさっているそちらのお方。しかし、ユダヤ人の哲学者であるブーバーをわかりやすく説明してくださっている本でした。