1185、1990年代に考えた「しらふの神学」を思い出した

1990年代は、私自身、アルコール依存症に興味が偏っていた時代だった。アルコール依存症関連への関心が元となって、2000年に、自分のそれまでの経験をまとめる意味で、按手礼論文「二、三人の神学」を書いた。「しらふの神学」というのは、イエスさまが十字架に架かられていた時、しらふだったのは、イエスさまおひとりではなかったかという内容だった。イエスさまの周りの人たちは十字架に近づいていくにつれ、みんなが本当は依存症であったことが明らかになっていったという内容だ。ペテロもそうだった、ユダもそうだった、ピラトもそうだった、パリサイ人サドカイ人もそうだった、群衆もそうだった、唯一しらふだったのはイエスさまであり、しらふのイエスさまとふれあって嗜癖から解放されたのは、あの隣の強盗だけではなかったか、という内容である。人々は復活を見るまではその呪縛から離れることができなかったのである。