1128、ナウエンとハワワース、ラルシュで繋がるとは思ってもみなかった

1090、1099で述べた感動が今も続いている。教会にも流入しかねない暴力で秩序を保つという一般では説得力のある物語がある。この秩序は決して教会発の秩序ではないと、そのたびそのたびに取捨選択し、非暴力の秩序で生き抜く、印としての教会共同体をハワワースは説く。私のなかにある急進性の根本は、やはり、イエスさまを十字架で殺したのは、「ローマの平和」という秩序であったということだろう。「ローマの平和」という秩序に対して納得してしまわないために、教会はラルシュというような発信に注目して生きていくべきなんだろう。そう言えば、非暴力とは違うが、以前「深夜の教会」を紹介したフィリップ・ヤンシーは、A Aを一つの印として示そうとしてくれたおかげで、今も私のなかには依存症という印でどれだけ助けられていることだろう。