2017-01-01から1年間の記事一覧
服を着ていくのではなく、脱いでいくイメージで聖句を覚えていこう!!
なんとかして宗教としてのキリスト教を相対化したい。この作業をし続けないと日本の伝道は進まない。ビリーグラハムも、キリスト教とはキリストだと言い続けた。しかしその程度では日本の伝道は進まない。ある牧師はキリスト教は宗教ではなく関係だと言った…
戦前には平和主義の宗教グループもあった。しかし富国強兵政策のなかでほとんど消えていった。平和主義を語るグループは容易に消えていったのである。我々のメノナイトブレザレンは戦後米国から来た教派であるので、そのようなことは全く知らないままである…
面白いのは、フリーチャーチ系では、古い曲も新しい曲も、アメリカのなかでの古い曲、新しい曲である、ということもわかっていない教会がたくさんあるということである。伝統的な曲もコンテンポラリーな曲もアメリカ発なのである。それほど世界の教会はアメ…
かっこよく、基魂和洋才と言いたい。もっとキリスト教の普遍性を客観的に語りたい。しかしやはり私たちは日本にいる人たちなので、基魂和才と言い続けるべきなのだろう。和の概念がなかなかわからないのであるが・・・
カリスマ運動、根本主義、諸聖霊運動に見られるものは非連続性であろう。奇跡が起こるというのも非連続的なことだろう。すでにある文脈との連続性がない。連続性の重要性を学んできた。連続性は歴史を見つめることの大切さを教えてくれた。しかし非連続性に…
今日、ある会合で聞いたことだが、驚いた。そうだったんだ。戦前のホーリネスはクリスマスをしなかったんだ。ということは世俗主義に敗北した教会がクリスマスをしていたということか。初代教会がクリスマスをしなかったのとよく似ている。
西洋初の「神学」なるものに説得されたくないのだ。理詰めで来られても受け入れたくないのだ。学問的にあちらのやり方で植民地化されたくないのだ。私はクリスチャンであり、牧師でもあるが、私もそう思う。キリスト教は中心的なもの以外はもっともっと相対…
私は日本のクリスチャンの子供たちを思う。教会から離れてしまった子供たちを思う。親が愛に満ちたしっかりとした故郷となっている限り、子供は離れていようと幸せだと思おう。帰る故郷があること自体が幸せだと思おう。放蕩息子は確かに、全く父のことを忘…
どんちゃん騒ぎの世の中のクリスマスにずっと疑念頂いてきたのは私だけではないだろう。多くのクリスチャンがそう思ってきたと思う。それで教会はそんなどんちゃん騒ぎのクリスマスではなく、静かなクリスマスだというふうに強調してきた。しかし今回の神戸…
以前、小畑進師の授業で教わったことを思い起こしている。仏教は仏になるために上のほうに上がっていくのであるが、基督教は神の側から降りて来てくださったということだから、どちらが謙遜かは一目瞭然、基督教だというようなことを教えてくださった。もし…