95歳の信仰の先輩

 先ほど、教会から1時間程車で走らねばならない、老人ホームから95歳の方がお話もできない状況になってきているとの連絡を受け、その方を訪問してきました。本人は「私は病院にはいかない」と言われ、本人の意志を尊重した形で、病院には行かず、食欲なきままに、いつ急変するかもしれない状況のなかにおられます。そんな彼ですが、私たちが訪問すると、なぜか目をよく見開いてよく話もされました。歌を歌ったかと思えば、次に「アーメン」の意味を知っているかな? と突然質問が来て、「アーメン」とは「しかり」「その通り」という意味だと、訪問した牧師と伝道師に彼は熱く教えてくれるわけです。そして「ああ、アーメンは良い言葉だ」と繰返して言われ、「アーメン」を繰返されるわけです。それで、私たちも「アーメン」を繰り返します。そう言えば、私は自分の人生の中で何回「アーメン」を使ってきたんだろうかな。またこれからも何回使っていくだろうかな。私の幸せって、きっと一回でも沢山の「アーメン」を言うことじゃないかとふと思いました。新約聖書の最後も「アーメン」(しかり、その通り)ですが、自分の人生の終わりも、「アーメン」で感謝し続ける最後でありたいなあと本当に思いました。