キリスト教はおせっかい宗教

 唯一神、創造主を信じている人たちがいます。つまりクリスチャンです。片や全然、唯一神、創造主に気づいていない人たちがいます。唯一神、創造主を信じている人は、有神論的価値観を形成していきます。片や唯一神、創造主に気づいていない人は、無神論的価値観、汎神論的価値観を身に着けていくことになるでしょう。今の時代は有神論的価値観を持っている人と無神論的価値観を持っている人はそれぞれお互いの立場を認めながら生きていくのが賢明な生き方であると思っている方が多いと思います。

 ところが、その点でキリスト教はかなり、やっぱり、おせっかいであり、想像以上にお世話焼きであり、その点で、今の世相に馴染みにくい面を持っているとは思います。つまり無神論的価値観を持っている人を認めつつも、どうしても有神論的価値観に導こうとするからです。クリスチャンはこう言うです。「天のお父様がおられるじゃない」「天のお父様はあなたを愛してくれているじゃない」「どうして信じることができないの、信じるだけでいいのよ」と言ってくるのです。

 余計なお世話でしょう。でもイエスもノーも言うことのできる自由意志を尊重する、クリスチャンたちの熱い情報提供を喜んで受けてほしい。ノーならば、ノーと言えばいいのですから。

 そんなあなたに伝えたい。キリスト教には入口があるのです。キリスト教には、明瞭な入口があるのです。その明瞭な入口がイエス様です。「この不思議なお方、イエスって誰?」その答えがすべてのすべてなんです。