三谷幸子先生お別れ会

 昨日、三谷幸子先生のお別れ会に行きました。お別れ会(葬儀)のあった場所は桜新町サザエさん通りにある、日本同盟基督教団世田谷中央教会でした。

 この教会、私が神学生時代、一年間、水曜祈祷会だけ通って、お世話になった教会です。礼拝堂は30数年前と変わらず、懐かしい感じがしました。当時、この教会は安藤仲市牧師、奥様のルツ子夫人、本田弘慈師の奥様、信徒会会長の方、キングスガーデンのビジョンが与えられてビジョンに燃えておられた方、そして他の神学校の神学生一人、私たちTCCの神学生が3人、オルガン奏者の方、という人数の祈祷会だったと思います。時々有名な牧師先生が訪れてくださるというおまけのある祈祷会、でした。安藤仲市牧師の小節をきかした味のある歌い方、奥様の太鼓を叩くような手拍子、それに合わせるオルガン奏者、私をこの教会に導いてくださった、聖潔派系の先輩はルツ子夫人とは息がぴったり、だったんですが、まだ若い私は、どう歌ったらよいかわからなかった。でもこれだけでも確かに印象深い祈祷会でした。

 その懐かしい会堂で、今回、三谷幸子先生のお別れ会がありました。彼女は102歳で召されました。私との出会いは30数年程前。今回、彼女にお世話になった方々が一杯集まりました。また彼女が教えた聖歌隊メンバーだった方々が一杯集まりました。いつも思うのですが、彼女は、50歳も下の私に対して、細かい心遣いで教育してくださいました。彼女はあのお歳で、世代の違いという異文化を超えることのできる柔軟性を持ち合わせていた方でした。そして今回わかったことは、キングスガーデンでは80歳も下の職員たちに心開いて、最後の3年間を過ごされたとのことをお聞きし、ご自分の生き方を最後の最後まで通されたんだと思いました。

 お別れ会の正面の写真は、武庫川キリスト教会に来てくださった時に撮った写真、私たちの旧会堂で撮った写真でしたので、葬儀式、お別れ会のなかに、自分の所属する教会の緑の葉っぱが見えていましたので、何か自分の教会で葬儀式をしているような気持ちになりました。ああ、次の時代に実を残せるような生き方とはどんな生き方なんでしょうか。しみじみと考えてみました。彼女自身は何か実を残そうと生きたわけではありません。むしろ、彼女は天国まで持っていけるのは賛美のスピリットだけだと言って、天国的生き方を目指されました。こんなことも言われていました。いくら美しい喉笛を神さまからもらっていたとしても、最後は、地上に置いて行かねばならないのよ・・・・。