二・三人の神学(按手礼論文5)

発行日2001年4月22日(今回、プログ上で改訂)

第三章 聖書時代の「ユダヤの平和」?

 ここまで「ローマの平和」「ギリシャの平和」を消去してきたが、今度は「ユダヤの平和」についても消去しよう。ヘブル人は「シャローム」というヘブル語を用いて、彼らの平和理解を歴史のなかで表現し続けてきた。

 この「シャローム」という言葉は、現代のユダヤ人がお互いに陽気な挨拶で交わす「シャローム」という言葉からわかるように、かなり幅広い意味を持ち、霊的な面、精神的な面、肉体的な面、社会的な面を含む「完全な健康」「完全な幸福」を表わす便利な言葉であった。また前述した「ローマの平和」も「ギリシャの平和」も包含するような概念であった。

 しかし、実際の旧約の民は「シャローム」という、おおらかな用語を持ちながらも、本物の預言者が叫び続けた「神との正しい関係回復」を望まず、悔い改めようともしないで、人間の自己実現としての「シャローム」、偽預言者達の人間本意の「シャローム」に従ってしまった。つまり「彼らは、わたしの民の娘の傷を手軽に癒し、平安(シャローム)がないのに、『平安(シャローム)だ。平安(シャロームだ。)』と言っている。」(エレミヤ8章11節)のである。彼らは大丈夫じゃないのに、「大丈夫、大丈夫」と言っていたのである。