二・三人の神学(按手礼論文)

二・三人の神学(按手礼論文13)

発行日2001年4月22日(今回、プログ上で改訂) それでは、ここから、「二者関係のある共同体」「三者関係のある共同体」について述べよう。しかし、なぜ関係論的に三位一体を捉えた上で、それだけではなく、「二者関係」と「三者関係」を区別して論じようと…

二・三人の神学(按手礼論文12) 

発行日2001年4月22日(今回、プログ上で改訂) そこで、三位一体間の関係性について触れて考えてみよう。三位一体という用語を初めて使用したのは、ティルトゥリアヌス(AD220年以降没)であった。彼は三つの位格を強調し過ぎるあまりに、神の統一性が危険に…

二・三人の神学(按手礼論文11)

発行日2001年4月22日(今回、プログ上で改訂)第四部 シャロームの本質1章「二・三人」の共同体 私がここで「二・三人」という用語を用いていこうとしているのも、三位一体なるお方の内に二者関係があるということと、三者関係があるということ、の二つに集…

二・三人の神学(按手礼論文9)

発行日2001年4月22日(今回、プログ上で改訂)第四章、シャロームの源泉は「神」か? 平和の泉の源泉が「個人」でもなく、「場所」でもなく、「人と人の間」でないならば、平和の泉の源泉は一体はどこにあるのであろうか。もちろん「神」である。すべての美徳…

二・三人の神学(按手礼論文8)

発行日2001年4月22日(今回、プログ上で改訂)第3章、シャロームの源泉は「人と人の間」3)か? 日本人は個人が平和の源泉であると考えるよりも木村敏氏が表現した「人と人との間」という言葉を用いて、そこに平和の源泉があると考えるほうが納得しやすいよう…

二・三人の神学(按手礼論文6)

発行日2001年4月22日(今回、プログ上で改訂)第三部 シャローム(平和)の源泉 私たちは生命の水の源泉が主ご自身であることを知っている(エレミヤ2章13節、17章13節、詩篇36篇9節、ヨハネ4章14節)。しかし「シャローム(平和)の源泉」もそうなのであろ…

二・三人の神学(按手礼論文5)

発行日2001年4月22日(今回、プログ上で改訂)第三章 聖書時代の「ユダヤの平和」? ここまで「ローマの平和」「ギリシャの平和」を消去してきたが、今度は「ユダヤの平和」についても消去しよう。ヘブル人は「シャローム」というヘブル語を用いて、彼らの平…

二・三人の神学(按手礼論文4)

発行日2001年4月22日(今回、プログ上で改訂)第二章 聖書時代の「ギリシャの平和」? もう一つはギリシャ的な平和である。このギリシャ的な平和もまた消去法で消去したい平和である。ギリシャ的な「平和」ἐρηνη(エイレーネ)は主として、「状態」「状況」を…

二・三人の神学(按手礼論文3)

発行日2001年4月22日(今回、プログ上で改訂)第二部 聖書的な平和とは第一章 聖書時代の「ローマの平和」? まず聖書時代の世俗世界における平和の定義を三つあげて、この三つを一つずつ消去法で消去しつつ、「聖書的平和」を絞り込んでいきたい。ここで参考…

二・三人の神学(按手礼論文2)

発行日2001年4月22日(今回、プログ上で改訂)第一部 序論 私が「MB聖会」の担当であったとき、MB教団の兄弟姉妹のご協力を頂き、下記のアンケート集計結果を得た。下記の集計結果から、当教団が「歴史的平和教会」の流れの教団として、「平和」を強調してき…

二・三人の神学 ーシャロームの探求ー はじめに(按手礼論文1)

発行日2001年4月22日(今回、ブログ上で改訂) 本当は「聖書的平和主義の源泉(原動力)は聖霊さまだ」と一言で言うべきところを言葉にしてしまったのが、この「二・三人の神学」である。この「二・三人の神学」は武庫川キリスト教会の標語「キリストにある…