よきおとずれ原稿(2014年)「神と和らごう!」武田信嗣

「信仰は心の問題ですからね。」とよく言われます。しかし聖書はそんな言い方を支持していません。なぜならイエスさまは「わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」(ヨハネ7:38)と言われたからです。つまり、信仰は心の中だけで納まるものではないのです。心の奥底から始まり、外に流れ出るものなのです。流れ出るものであるがゆえに、キリストの福音は、全世界に広がることができたのです

 ですから、もし私たちが「信仰は心だけの問題」というふうにして、信仰を心だけに納めてしまいますと、心の奥底から生ける水が流れ出るのですから、心というタンクにどんどん圧力がかかってしまい、私たちの心は破裂してしまうかもしれません。ですから信仰は「心だけの問題」ではないことをいつも確認する必要があると思います。

 聖書に描かれている信仰の諸先輩方は、信仰を心だけに納める諸先輩方ではありませんでした。彼らは「聖霊があなたがたに臨まれる時、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレムユダヤとサマリヤの全土、および地の果てまで、わたしの証人となります。」(使徒1:8)という御言葉の通り生きた人たちでした。ですから、私たちも私たちの心の奥底から流れ出ずる生ける水、聖霊が満ちあふれて、祝福を広げることができますように。

一方で、この世界には、「信仰は心の問題ですからね。」と言い合いながら、心の中にすべてを納め、何もないかのように生きている人たちが沢山います。表面的にはかっこ良く、おしゃれに生きていても、心が穏やかでない人たちが沢山います。ある組織は、お互いが人格的であるよりも非人格的であることを要求し、最悪の場合は自殺に追い込まれるケースもあります。また最も人格関係的なふれあいができるはずの家族が非人格関係的な場となっている場合もあり悲しい限りです。

 それで、少しでも押しつぶされそうな人たちに届くように、「神と和らごう、この世界で押しつぶされてしまわないために」というキャッチフレーズの教会案内を作成しました。私たちクリスチャンは、この世界で押しつぶされそうな心にもっともっと敏感にならねばならないのではないでしょうか。イエスさまがそうであったように、です。

 一方でクリスチャンであっても、「信仰は心の問題」というふうにして納めてしまって、まるで隠れキリシタンのように、クリスチャンとわからないように生きてしまって、信仰が押しつぶされそうなっている人たちもおられるように思います。「あの有名なあの方もクリスチャンだよ」と聞くと、うれしくなるのですが、一方で、信仰を心のなかに納めながら信仰を守っている様子を見ながら、信仰が押しつぶされてしまわないかなと心配してしまうのは私だけでしょうか。

 ですから、私たちは、ヨブ22章21節の「さあ、あなたは神と和らぎ、平和を得よ。そうすればあなたに幸いが来よう。」というメッセージを今まで以上にこの世界に発信していきましょう。ノンクリスチャンだけでなく、クリスチャンにも、発信していきましょう。たといこの言葉がヨブをつらい思いにさせたエリファズの言葉であったとしても・・です。