明日から教会礼拝堂の長椅子のリフォームが始まります

 教会の長椅子をリフォームすることにしました。リフォームしてくださるのは木匠さん、50年間座り続けてきた長椅子の価値に共感してくださり、またこれからも何十年も使い続けることができるようにしてくださいます。リフォームすることにより、10脚の長椅子だけは、時代を超えてくれることを願うとともに、他の椅子に関しては、新しい時代的感覚の合理的なスタッキングを併用する教会堂になります。先日、社長さんの熱い木への思いを聞かせて頂き、共感させて頂きました。

 木匠さんの会社のコンセプト
 今まで、社会全体が「量産」「量販」を求めていた戦後の数十年は、生産効率、品質管理を最優先に考えていくのがメーカーといわれる各社の主要テーマであり、ひとつひとつ「顔」の違う「天然木」という素材はその扱いの難しさ故に生産ラインからはずされ、均質の素材に次々変更されていきました。
現代の住宅建築も同様、構造材、内装材、ともに工業生産化されてしまった業界事情があり、その背景で「木」という素材は必然的にすっかり影が薄くなってしまいました。合板や集成材も木質ではあるものの、やはり量産目的で開発された工業製品であり、それはもはや、「天然木」とはまったく異質の性格を持つものなのです。然の木を素材として「確かなつくり」をしていくのは永らく、職人技に頼るところが大でしたが、その職人達も今や高齢化し、多くの職人が社会の一線から退いてしまいました。そして今、大量生産されたモノが溢れ、物量的には豊かにはなったものの、現代社会の状況はどうかというと、環境問題はじめ、すっかり高度化された社会構造に潜む「病んだ部分」がようやく映し出され始めました。それは経済優先で走り続けてきた社会環境の下で多くの人が人間としての本質的な生き方を忘れかけたために現れている現象と言えるかも知れません。私たちは、「木の復権」を掲げて昭和の時代に会社を設立、伝統的な木の組み方を継承する宮大工さんに基本的な考え方を教わりながら、モノつくりを続けてきました。そして永年「木製品は手つくりが基本」「住まいは買うものではなく造るもの」という考えに立って、その主旨を理解していただける人達に対し、様々な木製品や住空間を提供してきました。作って売ることだけを追求するなら、「天然木」は効率が悪いのは最初からわかっています。それでも「木」という素材にこだわってきたのには理由があります。人工素材では決して表現できないものがそこにあり、その可能性は無限の広がりをもっているのです。木製品を観て触っているだけでもそれはわかってくるはずです。一方、手を使って「ものつくり」をしようとするのは人間の本質的な本能なのです。「木」は触ることからすべてが始まります。それぞれの樹種の 木目の美しさ、硬さ、重さ、温もり、をまず感じ取り、自ら刃物を入れることで素材の持つ 強さ、匂い、クセ を知り刺激された五感を通して自然界の多くの情報を受け取り、作りながら気付き、感性を磨いていく楽しさを味わうものなのです。これらの本能をいつしか忘れてしまった現代人に、「天然木」の見直しと「手つくり」の楽しさを体験してもらおうと、木製キットの商品開発や参加型の家つくりの方法を今後も提案していき、6年前から始めた 「木の暮らし研究会」の活動も「木工教室」を主体にさらに広げていければと考えています。

 木匠さんは、京都嵐山渡月橋修復工事、宇治市の天瀬吊り橋、USJゲート等を作っておられます。