私と教会音楽(3)三谷幸子追悼文集

 がんばっちゃだめよ

 三谷先生は、三度、私の家と教会を訪れてくださいました。一度目は新婚早々、私が石橋キリスト教会の副牧師の時でした。あの時、脳内出血で倒れられた主任牧師に会って頂こうとしたのですが、三谷先生は、「偉い先生でしょ。」と遠慮されました。今思えば残念! 私の二人の大切な恩師が出会ってくださるチャンスを逃したのですから。二度目来られた時は、新大阪で先生を待たせてしまいましたが、さすが三谷先生の信仰でじっと待ち続けてくださり、何とか無事にお迎えすることができました。三谷先生は武庫川キリスト教会の女性伝道師の家に泊まり、自分の家のように、本当にくつろいでくださり、今まで一度も聞いたことのない三谷物語を語ってくださいました。先生が三谷家の歴史物語を終えた後、私が「先生、内容を録音しておきたかったぁ」と悔しがった時、三谷先生も一緒に悔しがっておられました。次に三回目に来てくださった時は神戸の母の家ベテルでのセミナーの講師として来てくださったのですが、TCCの教師の頃と変わらない若さで、長時間、私たちを指導してくださいました。思えば、私は、今日まで、先生の夢を夢として持たせてもらい、先生のビジョンをビジョンとして持たせてもらったんだなあと思っています。

 今日も電話の向こうから「がんばっちゃだめよ」と言う声が聞こえてくるようです。また天国から「もっと力を抜いて、もっと自然に、こんなふうにするのよ」と発声の個人レッスンをしている先生の声が聞こえてくるようです。またピアノを弾いているときに、さっと私の腕を摑み、「ほら、力が入っているでしょ!」と指摘されたように、今もそのようにされそうです。もしかすると、説教する時の力みも少しは取れてきたかもしれません。でも三谷先生の言われる「自然」に到達するにはまだまだ時間がかかりそうです。