聖書的平和主義への渇望2

 ときは約500年前。西洋においては、あのプロテスタント宗教改革(1517年〜)の時代、その影響を受けてカトリック側も負けじと、対抗宗教改革を行ない、イエスズ会のフランシスコザビエル(1506年〜1552年)などが生命をかけて地の果て日本にまで到達した(1549年)、あの時代であった。それによって、日本ではキリシタンが瞬く間に日本各地に浸透・拡大したことは歴史の教科書の教えるところであるが、それより少し前に、それに関連するかのように、ヨーロッパにおいて、同じく驚異的に浸透・拡大したグループがあった。それがMBの源流である「再洗礼派」(アナバプティスト)と呼ばれた人たちであった。マックス・ウェーバーは彼らのような集団を「信じる者たちの集団」「信団」と呼んで、それまでになかった新しいタイプの共同体として注目したようである。しかし、この「信じる者たちの集団」「信団」はカトリックプロテスタントの両派から異端視され、根絶の対象とされた集団でもあった。

 何故に彼らが異端とみなされてしまったか。異端とみなされた事の発端は、当時国教会側(当時はすべての教会国教会であった)からすれば、聖職者でも何でもない一信徒(それも若者たち)が仲間うちで何の許可もなく洗礼を授けたということからであった。具体的には、当時の人たちのほとんどが住民登録のようにして、子供出生時に「幼児洗礼」を受けているにもかかわらず、信じた者に再度、洗礼を授けたことが事の発端であった(1525年)。二度の洗礼と言う、当時としては、特に急進的とも思えるこの行為が異端的行動とみなされ、ついには、ローマ・カトリック教会からもプロテスタント教会からも根絶の対象とみなされるという悲劇を生んだのである。しかし彼らは声高に「聖書には幼児洗礼の記述はない。ただ信仰洗礼のみ」と主張し続けたのである。(確かに聖書には幼児洗礼の記述はない。)