わたしたちはいつも輝いているわけではありません。モーセは神さまと会ったとき顔が輝いたのです。でもその輝きも衰えていくことがわかると、衰えていると思われないために顔おおいをして、イスラエルの民の前で操作したのです。その気持ちもわからないわけではありません。総勢二百万??人ほどの出エジプトの民を導くために、リーダーとして、これくらいの操作は必要だったのでしょう。人々を振り向かせないと人はついて来ないからです。しかし第二コリント3章16節では「人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれる」と言われています。そうです。私たちは自分から輝きの衰えを認め、これからは神の輝きを反射させる鏡のように生きていくべきであることを教えています。私たちは、おおいを操作する関心から、キリストご自身に向かうことへの関心にシフトしていきましょう。私たちはキリストと同じになることはできません。しかしキリストを反映させることができるのです。Amen(出エジプト34章29〜35節)