宗教は 人→神  聖書の主は 神→人

 宗教は普通、私たち人間が神さまを求めるところから始まります。しかし聖書の世界ではそうではありません。私たち人間が神さまを求める前に、神さまがまず私たち人間を求めてくださったのです。第一ヨハネにはこんな箇所があります。「私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。」この聖句も、神さまがまず人間を求めてくださったことが語られています。愛することも、祈ることも、励ますことも、慰めることも、私たちから始まったのではありません。そうではなく、まず神さまが私たち人間に対してしてくださったのです。アメイジンググレイスという歌が有名です。あの歌も、人がまず神さまを求めたのではなく、神さまの側から、思いがけなく、アメイジンググレイスを吹き込んでくださったという歌です。マタイの福音書には、「求めよさらば与えられん」という有名な御言葉がありますが、あれも我々人間が神さまに求めよということではあるのですが、実は、それよりも先に、神さまが人に熱い思いで働きかけてくださっていたので、そのような情熱を私たちも要求されているのです。