2018-01-01から1年間の記事一覧
あらゆるイズムに律法主義があるように思う。自由主義の律法主義は一番やっかいだ。敬虔主義の律法主義もそれなりにやっかいだ。しかしそんな聖潔派の流れの彼女から私は寛容と自由を学んだ。あのイズムが律法主義だというふうにして議論を展開するよりも、…
昨日、教会でお葬式を願われている方が紹介されて来られて、すぐに信仰告白をされた。こんなふうな事例がこれからも起こるのだろうなあ。日本の宣教はこれなんだろうかと考えさせられた。この話をしていると、1人の方が私に、別の方がお葬式は教会でしてほし…
バベルの塔は、分けようとなさる時だったんだ。ハムのニムロデ、最初の権力に集まるセムを憂え、分けようとなさる時だったんだ。
スタンリー・ハワワースの講演を聞いた。以前はテープで聞き、ユーチューブで聞いたが、今回は生の講演だ。感動だった。場所は同志社。私は講演後購入した本のタイトルを見ながら、イエスさまの言葉を思い出した。それは、狼のなかに羊を遣わす。だから蛇の…
この世界ではもっとも大切な言葉なんだろう。でも教会的にはどうなんだろう。私はいつの間にか、存在論よりも関係論で物事を考えるようになった。そして無意識のうちに、存在論と関係論のバランスで生きているように思う。ですから、存在論が大切なのはわか…
故郷は人間が作るのではない、神さまが作ってくださるのだ。しかし故郷作りとしての教会像に今魅力を感じている。故郷だからこそ帰ってくる。帰ってくる場所として教会像に魅力を感じているのだ。ちょうど放蕩息子の父の家を表現できればと願うのである。こ…
固いと思っていた部分はまだまだ中心ではなかったのだ。でも合理的に説明できないままに、中心をじっと見つめてつつ、これからも相対化すべきことは相対化していかねばならないのだろうなあ。
正月の新年聖会で、教会でもお年玉くじをするのだが、担当の方が「運がいい人、運が悪い人」という教会文化とは違う価値観でアナウンスされていた。毎年、運が連発される。それでいろいろ考えてしまった。教会文化は運を信じない文化なのに、どうして運が連…
説教者が定年になり、他の説教者の説教を毎回聞く年代になると、謙遜に他の説教者の説教を聞くことができるかどうか、これは深刻な課題だと思う。どんな説教からも力を頂いているそのような先輩方を尊敬する。それから、ナウエンが言うように、教えることよ…
理屈抜きで、その日の説教の影響をみんなが受けている。少なからず、感情的な影響が教会のなかにあるように思う。牧師の感情が何らかの形で伝わっているとするならば、これは大変なことだと思う。顔の表情が何らかの形で伝わっているとするならば、これは大…