Great Is Thy Faithfulness(主のまことはくしきかな)

 昨日に引き続き、Great Is Thy Faithfulnessを口ずさんでいる時、ふと思いました。この歌、古い歌で、日本語訳も文語体ですが、でも口から発声する歌詞は、普通、口ずさんで歌うことがなければ、会話で使うことがないだろうなあ、例えば「憐れみ」なんて使う機会は現代社会では全くないだろうなあ、「仕えまつるうれしさ」なんて使う機会は現代社会では全くないだろうなあ、でも使わなくなった現代社会においも、その言葉の威力を味わうことができるならば、こんなにすばらしいことはない、とふと思いました。「憐れむ」なんて、この歌の作詞者のように、憐れまれている人しかわからないだろうなあ、神さまから憐れまれていることをうれしく思う気持ちを持っている人しかわからないだろうなあ。だって、現代人がもし「憐れんでいるよ」と言った時、間違いなく、上から目線の「憐れみ」になるので、おそらく使いたがらないだろうなあ。使う機会のない言葉を讃美歌だからこそ発することのできるうれしさがあります。